
今どき立ち会い出産といえば、するほうが当たり前でしなかったりすると、えしなかったんですかなんて言われる時代になった。長男が生まれたのは四年前だが、当時すでにそういう風潮があった。そういう風潮があろうがなかろうがぼくは立ち会い出産に賛成だったから妻がいよいよ産気づいたとなればマタニティタクシーを呼んでせっせと病院まで付き添ったものである。
初めての経験だったため、どういう陣痛がいよいよ生まれるのかわからず病院に行ってはまだまだと追い返されることを何度か繰り返したのをよく覚えている。こんな夜中に帰すこともなかろうにと思ったが、病院にいても自宅にいても一緒ということで行ったり来たりした。
さていよいよこれが本式の痛みが来た。いやいやこれは破水にそういないという段になってやっと病院が受け入れてくれ陣痛室なる小部屋に通された。そこはベッドが一台と、背もたれのない丸いパイプ椅子があるだけの簡素な部屋だった。ベッドは当然妻が横になり指に洗濯ばさみ状のセンサーが取り付けられ陣痛モニターに接続される。陣痛モニターは心拍計のようなものでリアルタイムで用紙に出力されていく。陣痛が起きると記録される波が激しくなり、陣痛が収まると小さなギザギザを小刻みに描き続けるのである。
病院に入ったのは夜中だった。子宮口の開き具合からそして陣痛の間隔をみても出産はおそらく朝になるだろうと告げられた。なるほど朝か、と思った。夜明けまでまだ五六時間あった。粗末なパイプ椅子は固く一時間も座っているのが苦痛になるような代物だった。ぼくだけ一旦帰宅して出直すかというのは夫婦の一致した意見だった。
常駐の助産師を呼び、一旦帰宅して朝また来る旨を伝えた。
その瞬間だった。陣痛室の照明が音を立てて割れ、部屋は突如として闇に包まれた。動揺したぼくの目に写ったのは鮮血のごとく真っ赤に光る二つの目だった。直後非常灯により室内が赤く照らされ状況は鮮明になった。助産師は耳まで裂けた口から恐ろしい犬歯を長く尖らせ、黒々とした鼻の穴から煙を吐き、憤怒の表情でぼくを睨みつけていた。見れば頭部から角が飛び出し天井の石膏ボードを突き破った。ぼくはぱらぱらと落ちてくる石膏ボードのかけらを顔に受けながら腰が抜けて立てなくなりあひひひひひと声をもらすのが精一杯だった。
ご主人。と助産師だった鬼は地響きがする声で言った。おまえは分娩という現象をみるだけが立ち会いだと思っているのか。貴様は出産を見物するだけが立ち会いだというつもりなのか。奥さんがこうして陣痛に苦しんでいるのを背中をさすったり励ましたりするのが立ち会いではないのか。こうした状況を一緒に過ごすことこそが立ち会い出産というのではないのかっ。鬼が火を吐いた。おのれなど地獄の業火で焼き尽くしてくれるわ。わははははははは。
ぼくは床に額をこすりつけて懇願した。許してください鬼神様。わたしが悪うございました。帰るなんてとんでもございません。しますします立ち会いします。妻が生むまでここにいますっ。
固く閉じていた目をゆっくりと開けると部屋は本来の明るさを取り戻していた。眼の前には笑みを浮かべた助産師が立ち、割れた照明も壊れた天井も元通りだった。それじゃご主人と言って助産師は部屋をあとにした。だけどぼくは見逃さなかった。ドアを閉じざまに振り返った看護師の目が赤く光ったのを。
かようにして立ち会い出産とは、妻の陣痛に寄り添いともにその試練をくぐり抜け赤ちゃんが無事に生まれるまでの一連のプロセスをさすのであって、「分娩」という現象に付き合うことだけを指すのではないことをゆめゆめ忘れてはならぬ。男性諸君は胸に刻むべし。
注:実際にあった出来事をもとに表現を多少脚色致しました。