
うちの子らは東京生まれ東京育ちである。
近所に大きな公園がいくつもあるが、いずれも人造公園であり、定期的に殺虫剤を撒いているせいで木々は多くても虫はほとんどいない。都会で昆虫と言えば真夏のセミくらいだ。また地域性もあってかゴミも多く、そこら中に吸い殻やら(禁煙なのに!)ペットボトルやら食べ物の袋やらが散乱している。元瓶だったガラス片もたくさん落ちているから危なくてとても素足でなんか歩かせない。つまりそこは緑あれど自然に非ず。
そこが当たり前となった子どもを里山へ連れて行くとどうなるか。道中は電車に乗れることには喜んでいた息子であるが、田んぼへなんかは絶対に入らないと何度も宣言していた。あんまりうるさいんで、まあいいよ着いてから決めなさいとだけ言っておいた。
息子にとっては田んぼは未知の世界で、つまり恐怖の対象なのだ。息子の取る行動は正常な防衛反応なのだろう。しかし田んぼへ近づくとその気持ちは一瞬にして一変した。あぜ道はこれまでに見たことがないほどたくさんのアマガエルに溢れ、息子はいきなりカエル捕りに夢中になった。しかし都会っ子に簡単に捕まるほどアマガエルものろまじゃない。お前なんかに捕まるかいとばかりにいつも一手先を読まれて手のひらをすり抜ける。息子は真剣になってそのあとを追う。そこはちょうど田植えが終わった田んぼだったから、田んぼに落っこちんなよと言って見守っていたが、ぼくの中にカエル捕まえたい衝動がムラムラと湧き上がってきて、自分もカエル捕りに参戦した。なんだ一番捕まえたかったのはオレだったのか。
カエルを捕って40年のベテランの手にかかればアマガエルなぞ赤子の手をひねるようなものである。カエルの行く手を読み先回りした手の中へカエルの方から飛び込んでくる。ふっふっふ、お主が地の果て五行山だと思っていたのは私の手の中だったのだ。孫悟空を手の平で遊ばせた観音様よろしくそっと手を閉じれば難なくアマガエルを手中に収めた。
さあ息子よこれがアマガエルだ、とカエルを手渡すと息子は恐る恐るしかし興味津々にその小さな手に乗ったカエルを眺めていた。一昨年はカエルに触れなかったのに成長したね。
完一さんの田んぼは田植えをしていないところが一箇所だけ残してあって、そこで子どもたちはどろんこ遊びができるようになっている。いざ田んぼの中へ!あれほどイヤだイヤだとイヤイヤ期していた息子はどこへやら。早く入りたくて仕方がないといった様子だ。ズボンの裾をめくって靴下を脱いであぜ道の草に立つ。どんな感触かな?
それからまずは片足を田んぼの中へ……と足がどんどん沈んでいく。体重を受け止めるだけ沈んで、そしてもう片方の足も泥の中へ入っていった。息子よどうだいどんな気持ちだい?
聞くまでもない。息子の顔がすべてを語っているのだ。その後はご想像通りの文字通り泥んこになって遊んだ。連れてきて正解だったなと親として安心したし満足もした。
こうした自然(里山は人工的なものだが、都会に比べたら自然である)に経験のない都会っ子が無茶をしないように絶えず気を配ってやりつつ、見守ってやる。いいなあオレも泥んこになりたいなあ。
夏にはトウモロコシの収穫があるという。また来ようねと約束をする。
秋にはお米の刈り取りがあるという。また来ようねと約束をする。
遊具はいらない。おもちゃもいらない(息子はミニカーをなくしたが)。
そこにあるものがみんな遊び道具だ。昔はこれが当たり前だった。今は積極的に出向いていって触れさせてやる必要がある。そうしなければと改めてその大切さを確認した。
少年よ土を踏め!
※生産者である有機野菜農家 齊藤完一さんについてはこちらをご覧ください。

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