
三歳のときに購入した自転車を指一本触れないまま一年間放置した息子が、四歳になって急に乗る気になった。ストライダーに乗っていた少年にとって、自転車に乗ることなどわけのないことだった。この自転車にはもともと補助輪やら後ろで支えるためのU字型のバーなどが装着されていたが、事前にすべて取り外した。いっそのこと泥除けも外してしまおうかと思ったが、水たまりに飛び込む姿を見て外さなくてよかったと思った。
自転車に乗れるようになると、息子はすっかりストライダーには見向きもしなくなった。当たり前だろう。移動できる距離も違えば出るスピードも違うのだ。近所には猿江公園や中央公園といった比較的大きな公園があるが、やがてそれさえも息子には物足りないようにみえた。
あるとき中央公園から旧中川の土手を降りて、その川沿いを走っていたときわたしは息子に言ってみた。
この川をずっといくとね、海なんだよ。海まで行ってみるかい?
すると息子は「海まで行く!」と張り切った。
実際どこまで彼の体力で行けるのかわからなかったが、途中でとまったらわたしのママチャリに乗せて帰ればよいと思い海を目指すことにした。
中川をひたすら南下すると小松川公園へとつながるもみじ大橋(とさくら大橋)があり、一部公道へ出る箇所だけはわたしの自転車に乗せて移動し、その他は自力で走らせた。小松川公園から荒川へアプローチが可能で、そこは子どもが生まれる前ロードバイクでよく走っていた荒川サイクリングロード(通称荒サイ)へと出る。荒川へ降りればあとはひたすら河口を目指すのみだ。
道中のアップダウンはほとんどないが、時折現れる支流を越えるための橋は自転車に乗りたての少年には険しいヒルクライムとなった。坂を登る筋力がなく、まだダンシング(立ちこぎ)ができない息子は足をついて拗ねる。
わたしは何度も息子を励ました。でも決して手は貸さないと決めていた。手を貸すときは引き返す時だけだ。息子は自分の力で海にたどり着くことに意味を見出していた。わたしが連れて行くのではない。
ようやく登った橋の上で一休みをすれば今度は楽しい下り坂、のはずであるが息子はこの下りが怖いといって自転車を降りて押して歩いた。ストライダー時代に下りで制御不能になって池にはまったり地面に叩きつけられた記憶が彼を歩かせる。乗ったほうが楽しいよという言葉は意味もなく通り過ぎていく。何度かある橋で押して歩くを繰り返す。もどかしいがそれが息子のやり方なのだ。
河口まで三キロの看板。結構あるなと思う。しかし平坦では息子もなかなかのスピードで走る。ストライダーと変わらない12インチという小径車にもう息子には短すぎるクランクをめいっぱい回して走る。それもずっとおしゃべりしながら。笑いながら。
息子はわたしに似ずにほんとによくしゃべるし、よく笑う。生まれたときから笑顔だった。太陽の子だなと思った。息を切らすこともなくどんどん進む。体力ついたなと思う。
河口の手前に清砂大橋が見えてくる。ここから対岸へ渡り葛西臨海公園を目指す。今回のゴールだ。河川敷を離れる区間はまたわたしの電動アシスト自転車で一緒に移動して、橋を渡ってからすぐに自走してもらう。

海はもう目の前で、赤い道が一直線に海に向かって伸びている。
海だよ、見えるかい海だよ。この赤い道が終わったら海につくんだよ。
長らく続いた働く車とミニバンブームが終わり、レーシングカーブーム到来の息子は今F1ドライバーになった。「おれ、メルセデスだよ。お父さんは?」「お父さんフェラーリ」「メルセデスが一番だよ。おれのが速いよ。ブイーーーーーーンッ!!」この会話を何度繰り返しただろう。
そして本当にあっという間に海についた。
息子は疲れをみせるどころか自力で海についたことに大興奮だ。ふたりでアイスを並んで食べて、レストランで一皿のオムライスを二人で食べた(息子が半分以上食べた)。スプーンを2つ用意したけれど結局わたしが食べさせることになったのはご愛嬌だ。
約束どおり観覧車に乗ってご満悦の息子くん。だけど、至福の時間を過ごさせてもらったのはわたしの方かもしれないよ、と思った。
さあ、つぎはどこを目指そうか。
