
子育てというのは結局のところ子供に三度三度の食事を与えることに尽きる。
そしてこの三度三度メシを食わせることが育児でもっとも大変だといったら驚くだろうか。
もちろん食事代のことを言っているのではない。食事を作り与えるという行為行動について言っているのである。
例えば、昨夜飲みすぎてしまったから今日の朝ごはんは抜きにしようとあなたは思う。
しかしだからといって子どもたちのごはんまで抜きにはできない。頭痛をこらえながらいつもどおりに早起きをして食事を作らなければならない。
例えば、お昼食べ過ぎたから今夜は適当につまめばいいやとあなたは思う。
しかしだからといって子どもたちにはきちんとした食事を出さなければならない。自分の食欲とは無関係に料理をするのはしんどいものである。
例えば、今日は金曜日だし夕ご飯が多少遅くなってもいいやとあなたは思う。
しかしだからといって子どもたちまで夜9時から夕食を始めるわけにはいかない。大体9時といったらもう寝る時間ではないか!
このようにして自分の体調もしくは食欲とは無関係に食事を決まった時間に毎日毎日毎日毎日作り続けることがいかに大変かお分かりいただけるであろうか。子育ては大変だ大変だとよく言われるが、どこが一番大変かと言えば三度三度の食事だと即答しよう。
以前茂木健一郎さんのコラムで読んだことがある一節を紹介しよう。茂木さんがあるお寺に行ったときのことである。お寺というのはいつもいつもお坊さんたちが庭を掃除している印象がある。そしてその時もやはりお坊さんが掃除をしていた。そこで茂木さんがいつも掃除してますねと言ったところ、お坊さんはこう答えたそうである。
「一、掃除。二、信心」
毎日毎日日々途切れることなく続けることの大切さを説いた言葉である。わたしは子育てをしながら料理をしながらこの言葉を思い出していた。子育ては一度始めたら子どもが巣立つまでやめることはできない。毎日毎日三度三度の食事は正直いって時として非常な重荷に感じることがある。だがしかし、「一、子育て。二、信心」である。
言っておくが、これをもって子育てがすべて辛いと言っているのではない。子育ては多くの面で素晴らしいものである。しかし同時に大変なのも事実である。そして一番大変なのは三度三度の食事である。だから、もしあなたが食事の準備をまるきり奥さんに任せっぱなしだとしたら子育ての大変さを奥さんひとりに背負わせているといっても過言ではない。それでいて子育てって大変だよねなんて奥さんの前でゆめゆめ口にしてはならぬぞ。ほぼ主夫のわたしが言うのだから間違いない。