
「泣いて、叫んで、成長する」
息子と二人で行くサイクリングはぼくにとっても楽しみの時間であるが、ひとつだけ問題がある。
遅い。
時速8キロで走行し、気を抜くと5キロまで速度が落ちてしまう。
息子の自転車は18インチで小径だし、チェーンリングも小さいからスピードを出そうと思うとたくさん回さなくてはならないのはわかる。しかし、しかしだ。いくらなんでも時速8キロは遅すぎである。
ジョギングしているひとに抜かされる。それはまるで老人がふらふらと自転車に乗っているようなと形容できるほどの速度である。歩いたほうが速いとまでは言わないが、その速歩きと大差ないスピードにぼくはつい口をだしてしまう。
「もっとスピードだして!ほら、がんばって!」
それで100メートルくらい時速15キロでるのだがすぐにもとにもどってしまう。それでぼくはまた口を出す。
「自転車はね、ある程度スピードを出したほうがフラフラしないんだよ。それにね、あんまり遅いとそれはそれで危ないんだよ。ねえ、ちょっともっと速く!」
速く!速く!速く!
自転車の速度が出ないのはまだ息子にその筋肉がついていないせいもきっとある。長い目でみればいつか普通に走れるようになるのかもしれない。だけど止まりそうに感じるそのスピードにぼくが耐えられなくてつい口を出してしまう。
ある日。時速5キロが続いたとき、ぼくはついキレ気味の口調で言ってしまった。
「もっとスピードだしてよ!いくらなんでも遅すぎる!」
すると息子は自転車を止めた。
「うるさい!もうそのことは言わないで!いわないで!!いわないで!!!!」
大粒の涙が頬を伝い、これでもかと大きく口をあけて顔を真っ赤にして叫んだ。
その後はうわーんとかわーんとかあーんとかいずれかに聞こえるか或いはどれにも聞こえないような声をあげて泣いた。
ぼくは息子の気持ちが収まるまでそこで待って、それからまた二人で走り出した。時速8キロで。
息子の自転車の乗り方についてもう一つ口を出してきたことがある。
それは立ち漕ぎである。
「ほら、ペダルの上に立って!膝を伸ばしてごらん!手に体重をかけないように!」
息子は長らくサドルから腰を浮かすことができないでいた。立ち漕ぎができないと登り坂で苦労する。海抜ゼロメートル地帯の江東区で、川にかかる橋以外に坂など存在しない土地であるが、その橋や土手から上がるスロープでさえ足をついてしまう。だからぼくは速度のときと同じように立ち漕ぎの便利さを伝えやり方を言い続けた。
それもまたある日。このときは泣きこそしなかったが息子はぼくに怒鳴った。
「もうその話はおしまい!その話はしないで!」と。
だからぼくは立ち漕ぎについて言うのをやめた。その代わりなにかと前を走った時にこれ見よがしにぼくが立ち漕ぎをしてみせた。そんなふうにして月日は流れて今日。
「お父さんみて!」
といって息子がペダルの上に立ったのだ!それは膝がきちんと伸び及び腰ではなく正真正銘の立ち漕ぎだった。漕ぐだけでなく、ペダルを水平にして立って滑走することも身につけていた。それだけでもお父さん感動なのに、さらにその良い副作用というべきか、片手運転もできるようになっていた!
「凄い!凄い!凄い!」
ペダルに体重が乗るようになって今までハンドルを握りしめていた手から力が抜けたのだ。
「凄い!凄い!凄い!」
息子は得意げに立ち漕ぎや片手運転を披露してくれる。
息子は息子なりに自分で咀嚼してゆっくりだけどきちんとやり方を獲得していったのだ。
ぼくは少しばかり焦りすぎていた。息子には息子のペースがあって、彼の考えるペースとプロセスで成長しているのである。
今日の立ち漕ぎを見て、速度について言い過ぎるのはやめようと決めた。忍耐である。成長を見守る忍耐がぼくに必要だったのである。
ペイシェンス 教えるつもりが 学ばされ
by ヤーダ・ヨーダ
ただあんまり遅いときはもうちょっとスピード出そうよって優しく言うけれどね。