
「なんかいろいろわかったよ」
本当なら。当初の予定通りならば、今日が「The Golden Month」の最終日であって、明日から保育園が再開するはずだった。ところが、周知の通り江東区が政府の緊急事態宣言の延長決定を待たずして5月末までの休園を決めたから、ぼくは日記を書き続ける。
通常なら。明日明後日を休暇に切り替えて連休にしたひとも多かったのではないかと思う。しかし今年は休んだところでどこへも行けないので仕事を選ぶのだろう。妻も二日間出社するというので6日ぶりに子どもたちと三人で過ごすことになる。
3週間の辛抱だという気持ちで始まったこのTGM(The Golden Monthの略)を3週間過ごし、さらなる3週間先のゴールを目を細めて見上げてみてわかった。これまでの3週間というのは我慢或いは辛抱いうなれば忍耐つまりはペイシェンスを試された期間だった。
3週間すぎればおれは自由だ。おれは開放される。それまでの間だけだ。
そのこころはつまり内向きの力で、結局のところ子育てと言いながら己しか見ていなかったことに気がついた。
およそ1ヶ月の延長は、ただひたすら歯を食いしばって頑張るぼくを一撃で粉々に打ち砕いた。子育てはシーシュポスの神話ではない。ぼくはどこかで自分の我慢強さにひとり悦に入っていたのかもしれない。しかも、それはどうやら本当の我慢強さではなかったようだ。
いずれにしても、今ぼくは粉々に砕かれた外壁を脱いで極めて無垢な気持ちで眼前に広がる大海を眺めている。ぼくは42歳で一度死んだと思ったが、それはぼく全体ではなくて一部だった(それでも小さくない一部だったが)。昔から残っていた部分が今また壊れて生まれ変わろうとしている。わるくない気分だ。
もっともぼくはあともう一度死ななければならない。或いはもっとも分厚く硬く形成された部位を壊さなければいけないのだ。そこに必要なのはパラダイムシフトであるが、これは直接育児とは関係がない話題になるため、別のところで綴っていきたいと思う。
明日は晴れそうだ。