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The Golden Month : DAY 36

「雨なんか雨なんか」

 

一日外で子どもたちに付き合うのは大変疲れるが、一日うちに籠もっているのもまた別の疲れ方をする。雨である。

 

施設という施設が閉鎖しているため、雨が降るとどこへも行くところがない。いや、どこへも行くなってことはわかっているが子どもたちにとって外出できないのは大変なストレスになる。

 

家の中で鬼ごっこができるほどの豪邸ならいざしらず、我が家のような集合住宅では走り回ることはおろか、どっしんばったんすることも憚れる。もっとも子どもたちはそんな配慮などそっちのけで暴れようとするから、それをいちいち止めるのがぼくにとってもストレスだ。

 

外なら好き勝手にさせておけることが室内では許されない。エネルギーが有り余った子どもたちは制限されることのストレスを別の欲求で満たそうとする。食欲である。それもお菓子の類と決まっている。それで、雨の日というのはだらだらといつまでもなにかを食べていることが多い。こちらとしては大変不本意であるが、あんまり厳しく制限しすぎるのも可哀想という感情が働くせいで、ついつい甘くなってしまう。

 

「飴たべたーい」

「そうだねえ、雨降ってるねえ」などと言ってもなんのごまかしにもならない。

「飴たべたーい」

「じゃあ一個だけだよ。一個だけ。いいね、一個だけだよ」

これだけ念を押しても下の娘にとって一個は二個を指す言葉なので二個あげないと収まらない。当然「妹ばっかりずるい」となるので二人に二個ずつである。

 

「バナナー。お父さんバナナたべたーい」

「バナナなんてないさ、バナナなんてうっそさ」と歌ってみたところでなんのごまかしにもならない。彼らの視界に入れていたのが失敗だった。まあお菓子よりかマシかと思い与える。子どもたちにはバナナブームの波があって全然食べないこともあれば、一度に二本くらい平気で食べてしまうこともある。そして今はブームが来ているらしい。

 

「おとうさん。お父さんとお茶したい」

5歳になると言い方も気が利いてくる。単純に自分の欲求をぶつけてくるのではなく「お父さんとお茶がしたい」と可愛らしく表現してくるなどその考えはお見通しだがなぜかぼくの口から出てくる言葉は「じゃあお茶しよっか〜」であるから不思議だ。

 

しかし食べ物で満たされるのは、それを食べている間だけである。食べ終わればもっとを要求しそれを断ると大騒ぎが始まる。今まで食べさせてやったのはなんだったんだ!その繰り返しである。

 

窓の外を見れば雨が路面を濡らしている。どうやら明日も雨らしい。それどころかこの雨は3日ほど続くという予報さえでている。妻が自宅でテレワーク中だから子どもたちを野放図に騒がせていくわけにはいかない。たとえそれが新生活様式だとしても度を越した騒ぎはやはり論外で、このうるささは一度でも体験すれば誰もがこれはないと断定できるほどにうるさい。とくに息子は腹式呼吸による発声を得意としており、人一倍声がでかい。そしてなぜか夫婦で会話しようとするとそこへかぶせて話しかけてくる。当然妻の声などマスキングされてなにも聞こえない。

 

両親の会話でさえ、息子にとっては嫉妬の対象なのか。お父さんはぼくのもの。お父さんはぼくとだけ話して。そんな言葉さえ聞こえてきそうだ。まさに父冥利に尽きる話であるが、たまにはお母さんとしゃべってもいいでしょ?