
「条件反射」
我が家では毎晩寝る前に絵本を一冊読んであげるのが習慣になっている。それはぼくにとっては日課であると言える。正直疲れていて読みたくない日(音読は疲れるのだ)もあるが、息子はそれを許してくれず、そういう日は短い本で勘弁してもらう。大体読みたくない日にかぎって「おしいれのぼうけん」とか「いたずらきかんしゃチューチュー」とか長目の絵本を持ってくるのだから。
ぼくは絵本が好きでぼくが子供の頃に読んだ本を今子どもたちが読んでくれることは素直に嬉しく思っている。絵本の棚にはそれこそ四十年以上前にぼくが読んだ本があり、ぼくが子供の頃好きで買いなおした本があり、書評や本屋で見つけた良作が何十冊も並んでいるが、さすがに毎日毎日同じ本を読んでいるのが辛くなってきた。ところが辛いと思っているのはぼくだけで、息子は同じ本を何度も何度も読んで欲しがる。だから今日は何読むと聞いた時にもってくる本は
またそれかと言いたくなるほどそのレパートリーは少ない。
それに加えて、子どもが二人になってぼくは二人同時に読み聞かせればいいと考えていたが、この考えはまるきり甘くてそれぞれが読んでほしい本を持ってくる。二冊連続はツライ。がしかし、子どもに本が好きになってほしいと願う心があり、せっかく本が読みたいと持ってくる彼らをなんの理由もなく拒否できるわけがない。
妹は兄のマネっ子なのでアニキが好きな本、即ちヘビロテ本を持ってくる。またそれかが二倍になるのだ。せめて息子の選ばない本を持ってきて欲しいと願うぼくの気持ちはあっさりと吹き飛ばされる。
毎晩毎晩同じ本を読んでいるとひとはどうなるか。文章を暗記してしまうなどといった生易しい話ではない。本を開いた瞬間に眠くなるのだ。強烈な睡魔。ハイデガーの「存在と時間」は最初の1ページの数行を読んだだけで瞼が重くなってだからその先になにが書いてあるかしらない本であるが、これらの絵本はその反対にすべてを知っているが故に意識が遠のく。それは「ボールを蹴飛ばして」を「段ボールを蹴飛ばして」と読み間違えても自分では気が付かないほどに。
さあ今夜もまたそれかのお時間がやってまいりました。息子の最近のヘビロテ本は「あくたれラルフ」です。ラルフの素行に深く共感しているようでいたずらを咎められたラルフに共感さえしているみたい。ちなみにこの「あくたれラルフ」はシリーズになっていますが、第一作がだんぜんオススメです。いたずらっこはラルフが好きになること間違いなし!
