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The Golden Month : DAY 40

「SO MUCH カンシャク」

 

子どもの癇癪で一番手に負えないのは3歳くらいまでではないかと思う。個人差はあるが、とくに2〜3歳が最も手強いと言える。それが4歳にもなると言語が明瞭になってこちらの駆け引きが通じるようになり、かつてのどうしようもない状態というのが減ってくる、そんな印象を二人育ててみて感じる。

 

さて、イヤイヤ期で強力に自我を獲得しつつある我が娘は自分の思い通りにならないことに我慢がきかないらしい。どうしても実行すると決めるとそれをやらずして引き下がることはまずない。初志貫徹の実行力はすばらしいが、だからといってこちらとしても譲れない局面というのもある。いくら父親は娘の下僕だとしても、である。

 

この、癇癪を起こしてどうしようもない状態にたまりかねて親が折れるのはよくあることだが、それが暴力に発展してしまう家庭があるというのも理解できてしまう。それはとても悲しいことである。最愛の子に手を上げてしまうということほど手を上げた本人が一番傷つくことはない。一番傷つくのは子どもでないのか。そう子どもは犠牲者だ。が、同時に親本人も現代の子育てにおける犠牲者になってしまう。

 

核家族化により家族が小さくなって、得た個人の自由は、孤立という負の側面も合わせ持っていた。24時間子どもの意識が100%自分(親)に向かう現代の子育て事情は、かつて家族が大きかった時代には考えられない負担を強いられることになった。この1秒たりとも心休まる時間がない状態が専業主婦(主夫)であれば365日毎日続く。こんな状況に耐えられなくなるひとがいても不思議ではない。

 

子育てはアンビバレンスだ。子どもに対するDVのニュースに世間はなぜ最愛の子どもにと疑問を口にするが、今の時代に子育てをしていればおそらくだれもが心の中で頷いているだろう。それはだれもが手を上げるという意味ではない。そういう気持ちがわかると言っているのである。

 

現代の育児において最も重要であろうことは、孤立(心理的にも)してはいけないということだ。その対策として行政は子ども家庭支援センターや児童館などを用意しているが、このコロナ禍でそうした施設までもがすべて閉鎖している。日本の人口全体から見れば、幼児を子育てしている人間の数など物の数ではないのだろう。或いはCOVID-19に対する認識が甘いとぼくに言ってくるひとがあるかもしれない。それについては、probably yes, probably noだ。これについてここで議論するつもりはないが、ただ一言だけいうと海外と日本を同一視する必要はないとぼくは思っている。

 

保育園が休園し、テレワークで子どもが騒ぐなか仕事をしなければいけないプレッシャーに負けてDVが発生する事件が増えているそうだ。対コロナがすべての主軸になっていて、そのほかのことはなにもかも脇に置いてしまう極端な態度が原因だと思う。保育園の存在理由はなにか。自宅で仕事ができれば保育園は必要ない、わけがない。「7つの習慣」のスティーブン・コヴィー氏がいみじくも言っているように、かつては社会が子どもを育ててくれたが、現代では親が社会から子どもを守らなくてはいけない時代である。とてもほったらかしになどできるわけがないのだ。

 

新型コロナウイルスの蔓延防止にはもちろん賛成だが、今の日本をみているとコロナを防ぐためなら死んでもかまいませんと言っているようにさえ感じる。

 

閑話休題。

だいぶ話がずれた。今日は本当は我が娘の癇癪について書くつもりだったのである。

2歳の娘はまだ昼寝が欠かせない。だが本人は絶対に寝ないと言い張っている。じゃあ無理に寝なくていいよと言うのだが、機嫌のほうは確実に悪くなっていく。おやつに食べていたスティックパンを持ってベッドに寝るというので、それだけは駄目だ。それだけはゆるさんとぼくは阻止した。ベッドに食べ物を持っていってはいけない、食べるならここで食べなさいといったところで始まらない。始まったのは大泣きと絶叫と不屈の闘志だった。

 

大抵のことは下僕であるぼくが折れて終了になるのであるが、ベッドルームに食べ物を持ち込むことだけは絶対に許してはいけないのである。そんなの気にしないというご家庭もあるだろうが、我が家ではルールなのである。お客さま、持ち込みはご遠慮いただいております。なのである。

 

娘は握りしめて原型をとどめていないパンを硬く握りしめてどうしてもベッドにあがるといって泣きわめく。ぼくは体を張ってそれを阻止し続ける。娘は匍匐前進による突破を試みる。ぼくは床の隙間をうめてそれを跳ね返す。号泣とたゆみない侵攻は際限なく続く。ずいぶん体力がついたものだ、などと関心している場合ではない。音量はマックスで、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって、ついでに握りしめたパンもぐちゃぐちゃになってそれでも離さずにありとあらゆる突破を仕掛けてくる。文字通り全身を使って。

 

耳がぎんぎんしてくる。もう何十分こうしているだろうか。娘はまるで諦める様子がない。なにか別のものに気をそらそうと思ってももはやそのステージにない。なんとしてでもベッドにパンを持ち込むぞという固い決心が彼女を突き動かす。ぼくは何十回と繰り返した言葉を言い続け、彼女の体を優しくしかし確実にせき止めていた。40分は経過しただろうか。娘は今までと違う態度をとりはじめ、ぼくの足の上に背中を丸くした。しばらくヒックヒックと震えていたが、やがて寝息が聞こえてきた。ぼくは顔にはりついた髪をかきあげてティッシュで涙と鼻水をぬぐった。その後も膝の上で眠る彼女の頭や頬や背中をしばらくなでてから、そっとベッドにうつした。