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The Golden Months : DAY 44

「子どもになにを望むか」

 

午後は雨予報だったから、午前中に少し離れた公園に行こうとぼくは二人を誘った。いつも行く木場公園よりもさらにその先にある清澄公園が今日の目的地だ。非常事態宣言が解除されたことで、公園の遊具を囲っていたテープが取り払われて子どもたちが嬉々として集まっていた。息子たちも初めてみる遊具に飛びつく。ぼくも初めて来る公園の風景が新鮮で気分がいい。

 

本当は清澄庭園にも連れて行きたかったが、残念ならがまだ休園したままだった。だからぼくらは清澄公園の場所をかえて新しい景色をそれぞれ堪能した。やっぱりいつもおんなじところじゃ子どもだって退屈してしまうんだ。とくに5歳の息子は連れていけばどこだって楽しそうに遊んでいるけれど、本当は見たことのない場所に行きたいんだと思う。だって、目の輝きが違ったもの。

 

帰り道、息子がお腹が空いたを繰り返したのでコンビニでおにぎりを買う。もちろん同じものを2つ買ってそれぞれに渡す。とにかく全く同じものを買うのが重要で、そうでないと必ず取り合いが勃発する。息子は梅干しが外側に張り付いて海苔の巻いていないおにぎりがいいと言う。妹もすかさず同じぴんくのがいいと短い腕を伸ばす。いかにも食べにくそうなおにぎりをあえて選んだ兄弟であるが、果たして妹は梅干しはおろかおにぎりの半分以上を落とした。幸い梅干しが上を向いてベンチに落ちたので全部食べると泣きじゃくる娘をなんとかなだめて梅干しだけ食わせる。自分で取りなよというと、「手がベタつくからお父さんやって」だって。娘って。娘って。食べさせましたけど。

 

娘が拾って食べないうちに塊を袋に放り込んだが、ベンチにはまだご飯粒がいくつか残っていた。すると周囲からパタパタパタと音がしてドバトにスズメにムクドリがご相伴にあずかろうと降り立ってきた。たぶん食べ始めた頃から目をつけていたのだろう。だからぼくらはさっさとその場をあとにした。

 

おにぎりを食べてエネルギーが充填された息子は元気に自転車を漕いで帰宅すると、テレワーク中の妻が炒飯を作って待っていた。ところが仕事をしながら作っていたため量を少し見誤ったらしい。ちょっと少なめだったのだ。だけど子供らはすでにおにぎりを食べてきたし大丈夫でしょうとそのまま食事にした。息子は大好きな炒飯をかき込むようにして平らげるとごちそうさまと言って席を立とうとしたから、ぼくは足りたお腹いっぱいになったと聞いた。ぼくはいつも息子が早く食べ終わるとそう聞いてしまう。

 

すると息子は足りた大丈夫と返事した。ぼくはお父さんのあげようかもっとたべると言ったが、やはり息子はもういいと言ってテーブルを離れたからぼくはそれで気にしなかった。食後に妻が土鍋(うちではご飯は土鍋で炊いている)に残った白米をラップに包んで小分けにしていると息子がやってきてそれ食べたいと言う。それで茶碗一杯分のご飯に焼豚を乗せたのを妻が出してやるとガツガツと食べるではないか。ぼくはそれを見て言った。おいお前お父さんに気を使ったな。すると彼ははにかむような複雑な笑みを見せた。そんな気の使い方しちゃあいけないよ。食べたいんだったら食べたいって言ってくれよ。キミはまだそんなふうに気を使っちゃいけないよ。

 

息子は言葉にもならないような笑い声とも違うような音をたてただけでまたご飯に向かった。ぼくは胸の奥のほうがつーんとしみるような。ともすれば涙腺が緩んでしまうような。

 

普段ぼくはひとの気持ちを考えなさいだの、わがまま言わないだの、もう赤ちゃんじゃないだの言っているのに、こんなふうな態度を取られるとまるで反対の感情がこみあげてきてしまう。子どもなんだからそんな気遣いは不要だ、もっと欲求に正直になれ、5歳の言うことじゃない、なんて。親は一体なにを子どもに望むのか。子どもの二転三転する要求に親がどっちなんだと思うのと同じくらい、親の願いは子どもにとって不可解なことこのうえない。

 

とくに今回の気遣いがぼくに刺さったのは、息子がご飯を我慢するほどぼくに甲斐性がないというようにぼくが受け止めてしまったせいでもある。まってろよ息子よ。今は主夫やっているけど必ず美味いもんたくさん食べさせてやるからな。