
「T.G.I.F」
20年前。ぼくが学生の頃金曜日と言えば学生のみならず、大人たちでさえ心はずませる曜日であった。午後ともなれば今夜はどこへ繰り出すかそんな話で盛り上がり、夜の到来を心待ちにしたものだった。ぼくはアメリカ人のこうした気楽さや日常の楽しみ方に好感を頂いていたが、コロンビア人の友人はアメリカ人は真面目すぎると言って笑った。当然日本人のぼくは死ぬほど真面目に映ったのは言うまでもない。
コロンビア人に言わせれば、木曜日はsmall Fridayなのだという。だから、金曜日ほどはじけないが、その半分くらいははじけてもいいことになっている。コロンビア人にとって水曜日が終われば週末みたいなものなのだ。ぼくは日本人もコロンビア人の楽観主義、肩の力が抜けた気楽さ、適当さを多少取り入れたほうがいいといつも思っている。そんなコロンビア人のひとりアレハンドロはシチズンの腕時計をしていて、これは外装がチタンでできているから軽くて錆びなくて良いんだと言ってぼくに見せた。彼は、日本のプロダクトは世界一の品質と褒めちぎった。靴を履く時は一度逆さにして振って、中にサソリが入っていないかどうか確認するようにと教えてくれたのもまたアレハンドロだった。
帰国して広告業界に入ると週末という概念が消え失せた。忙しければ曜日など関係がなかったし、逆に暇なら毎日が金曜のようになった。
子どもができた。金曜の夜が消失した。朝6時に起きて23時には寝る規則正しい生活は金曜の夜がはいる余地を許さなかった。だから子どもができてから夜の街に繰り出す機会がなくなったから、たま〜に夜の街を歩くとなんだか新鮮な気持ちになるほどである。
そして、今日は最後の金曜日である。なにが最後なのかと言えば、主夫生活最後の金曜日である。いつか再び緊急事態宣言がでないとも限らないが、ひとまず1ヶ月半を超える子どもたちとの濃密な時間がいよいよ終わろうとしている。当初3週間と踏んでいた休園期間がよもやの延長戦にもつれ込んだときには軽い絶望感を味わったものである。このカーブを曲がれば頂上という淡い期待は打ち砕かれて、幾重にも折り重なる九十九折が出現したときの嘆息と同じだ。
今日は朝から気分が軽く、久方ぶりに"TGIF !!"の気分が少しばかり蘇ったのだ。そしてまるでぼくのこの一月半を締めくくるがごとく大空をブルーインパルスが舞った。戦闘機が編隊を組んで視界に現れたときの高揚感は、初めて見た光景への感動だけでなく、今日という日がぼくにとって特別な日だったからというのも多いにあるだろう。
息子はそんなぼくの様子を察したのか、なんでも言うことを聞くとってもいい子ちゃんに何度か変身していた(ずーっとそうなわけがない)。彼の気分もよかったのだろう。聞き分けのいい子モードが一度も出ない日だってあるのだから、「何度か」出るというのはやはり息子の心が安定していた証拠である。時折勃発する妹との抗争もいつものように深みにははまらなかった。うまく妹をいなす姿をみてぼくはいちいち関心しているのである。
お風呂を済まし、夕飯も無事に終えぼくは後片付けをする。妹がいつものようにアニキに向かっていく。兄が「やめて、あっちいって」といっても当然きかない。そして妹のヘディングを顔に受けた息子が思わずグーパンチ!ぎゃーっ。わーん。鼻血でるーっ。
鼻血は出ていなかった。いつもならここでぼくの一喝が入る瞬間だったが、今日は違った。
It's your pain or my pain or somebody's pain
誰かのために生きられるなら
It's your dream or my dream or somebody's dream
きっと強くなれる
ぼくは声に出して歌ったのである。驚いた子どもたちが泣き止んだ。事態は一気に収拾し、その後まるで魔法がかかったようにふたりともすーっと眠りに落ちたのであった!!
Thank God, It's Friday!!