· 

The Golden Months : DAY 49

「子育て GO ON !!」

 

保育園の休園が結局49日も続いたのはこの毎日つけている日記が示すとおりだ。

想像以上に長く途中投げやりになりそうな日もあったが、こうしてゴールゲートをくぐってみるとまだ余力を残していることに気がつく。しかし子育てはそれでいいのだ。ヒルクライムのようにオールアウトしてはいけない。ヒルクライムなら登りきった達成感を胸に下山すればいいだけだ。しかし子育てはここから新たなレースが始まる。まずは無事に到達したことを素直に喜ぼう。そして一息ついて気持ちを新たにしたら再び育児という名のバイクにまたがってペダルを回していこう。

 

雨の日も晴れの日も毎日続けた天祖神社への散歩も今日で一旦一区切りとしたい。途中から始めたゴミ拾いもすっかり習慣になって子どもたちも街が汚いことが普通ではないという認識を持ってくれたので思った以上に効果があった。普段遊ぶ公園でゴミが落ちているとすぐに教えてくれるようになった上、嫌悪感を覚えたようだ。ゴミだらけの中で遊ぶことは当たり前ではない。東京のこうした下町に暮らしているとゴミに対する感覚が鈍くなりやすい。本当に残念ながら街はゴミだらけなのだ。だから子どもたちがゴミに対する意識を持ってくれたのはゴミ拾いをした中で一番の収穫であった。今後も週末はできる限り天祖神社へのお参りを兼ねてゴミ拾いも続けたいねと妻と話している。

 

散歩の行き先を天祖神社に決めたのは今思えば賢明だった。この神社は我が家から程よい距離にあるというだけでなく、初詣の参拝先として毎年新年に来ている神社でもある。本殿の前におひとついかが?と飴が置いてあって子どもたちはその飴をもらうのを毎日の楽しみにしていた。ここで娘の「一つだけ」は二つを意味する言葉として出来上がったのは神社には内緒である。翻って息子は真の意味での一つを忠実に守っていたのだから成長したものだ。

 

この49日で子どもたちが急激に成長した!ということはない。ただおしゃべりな兄の力もあって妹の言葉が上達したのは実感しているが。成長というのは、ある準備期間を経て突然ドンッと表出するものである。そしてこの49日は子どもたちにとっても特殊な時間で成長の過程で言えば準備期間に相当する。だから彼らがぼくを驚かせてくれるのはこれからなのだ。楽しみだなあ。

 

息子にとってのこの49日間はペイシェンスを強いた期間でもあったはずだ。普段なら同学年の友達と遊んでいた時間を2歳児と過ごさなければならなかった。行動の制限は常につきまとっていたから彼にかかるストレスも大きかったに違いない。内心の葛藤と戦いながらも妹思いな姿勢を垣間見せた息子を褒めてやりたい。

 

一方娘のほうは天真爛漫さを爆発させた49日だったといえる。丁度2歳のイヤイヤ期を迎えた時期と重なったということもあるだろう。自分の意思をはっきりと表明し、思いを遂げるまで泣くという交渉力も身につけた。彼女はまだ2歳であるから、ぜひその手を緩めずに邁進していただきたい。誰もが通る道なのだから。

 

ぼくは49日で何を得たであろうか。専業主婦の大変さを身を持って知った。働くパパ・ママの大変さも十分に理解できた。そうした外側の理解はもしかしたらなにかの役に立てるかもしれない。実際に経験してわかったことは今後文字にして行きたいと思うし、おとこそイベントでも活かすことができるだろう。

 

一方ぼくの内側はどうだったか。それについては最終日を迎えた今日この瞬間に答えることはできない。ただひとつ確実に言えることは、かけがえのない時間を過ごしたということだ。

たまに見返したい映画というのはだれにもあるだろう。ぼくにとってインターステラーはそうした映画の一つだ。その中で、子を持つ親が生死をかけて生きようとするとき頭に浮かぶのは子どもの顔なのだというシーンがある。それが生き抜く力となり親を動かす。それは親にだけ許された特権でもある。

 

本当ならこの日記も今日で終わりなんだけど、明日で丁度50日とキリがいいので明日が最終回です!