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作るよりも大変なこと

今日の夕食何にする?

よく子供の頃母親から聞かれたセリフである。それも決まってお昼が終わってすぐに聞くものだから、いまお腹いっぱいでなにも思いつかないよと定型句のように答えていた。今、母親の気持ちが痛いほどわかる。夕方が近づくと気持ちがそわそわしてくる。今夜どうしよう。なに作ろう。

 

大人だけなら外食や店屋物やスーパーの惣菜やレトルトや究極に面倒くさければ納豆ご飯でいいやで済ませられるが、子どもがいるとそうはいかない。きちんと栄養をつけなければいけない。ある程度ボリュームがあってお腹いっぱいになってもらわないといけない。それを冷蔵庫にある材料でなんとかしたいと考えるのである。

 

我が子たちはよくもわるくも買ってきた惣菜や揚げ物があまり好きではない。その上、世間的に人気メニューとされるカレーやハヤシもあんまり食べない。息子にいたってはハヤシをかけようとしたら、かけないで!と言って白米だけ食べる始末である。ほかに野菜や肉を用意していないから予定が狂う。

 

一番よく食べるのはぼくや妻のつくる手料理である。ぼくのなんでもない野菜炒めを美味しい美味しいと言って食べてくれる。これは料理の腕前を自慢しているのではなくて、多分に完一さん野菜の力に負うところが大きい。手料理が喜ばれるのは嬉しいが同時に大変でもある。

 

毎日料理をすることも確かに負担だが、一番大変なのは作ることではなく、何を作るかを考えること、である。今夜どうしましょ。スーパーで女性が顎に手をあてて食品を物色している姿が漫才などで茶化されることがあるが、あれは必死に献立を考えている姿である。ぼくもうっかりするとそんなポーズをとりがちになってしまうから気をつけている。ちなみにぼくがスーパーで気をつけている行動は、うろうろしない、戻らないである。そのためには食品を見ながらメニューを考えるのではなく、事前に料理するものを決めている。そして一筆書きで一気に通過しながら目的のブツをカゴに入れていく。スーパーでの滞在時間をできるだけ短くしたいのである。それはコロナ対策でもなんでもなく、時間の無駄である気がしてならないだけである。

 

ただそうしてスーパーに行くことは稀で、ほとんどは買い溜めした食料の中で料理を考えている。肉類も一月分をまとめ買いして小分けにし冷凍している。そのほうが都度購入するよりずっと節約になる。そのとき鶏の骨付き肉を買ってその日のうちに煮出し、取れた出汁を氷のキューブを作るような容器にいれて冷凍保存しておく。そうするといつでも鶏出汁がとりだせるので便利だ。我が家では化学調味料をなるべく使わないように心がけているので、これは貴重な旨味成分となる。野菜炒めでもスープでもこのキューブをいくつか放り込んでやるだけで旨さがぐっと増す。お試しあれ。

 

なんてまるでぼくが思いついたみたいに書いているが、なんのことはないいつも妻がやってきたことである。ぼくが料理をするようになって真似をしているだけだ。

 

今夜はパスタである。珍しく昨夜息子が明日はパスタが食べたいと言ったのである。今日それを息子が覚えているかどうかなどもはや問題ではない。今夜はパスタとぼくの中でインプットされ今夜どうしようの悩みを解消してくれたことが重要なのである。材料は何も買い足す必要がなくあるものだけで作れるのもポイント高い。人参が多めにあるので人参スープを一緒に作ろうではないか。トマト缶の半分をスープに使い、半分をパスタソースとして利用する。我ながらすばらしい無駄のなさだ。よし今日は乗り切った。