· 

昆虫捕ろうぜパート3

6時に起きて7時前には自宅を出る。すでに街中をむあっとする空気が支配して日差しが力強く降り注ぐ。今日も暑くなりそうだ。というか、すでに暑い。息子は虫かごを肩からさげ、捕虫網を意気揚々と掲げて大股でぼくに着いてくる。その姿をみて自分の子供時代を思い出す。ぼくも昆虫採集に行くときはずいぶんわくわくしたものだなあ。ぼくが昆虫採集に行くときはきまってクワガタやカブトムシが目的だったけど(他の虫はそこらじゅうにいた)、彼にとってバッタやカマキリでさえわざわざ捕りにいく特別な存在だった。そう。夏の終わりにぼくらが目指す昆虫はカマキリ、バッタ、トンボなのである。

 

木陰ひとつない。ジリジリと肌が焼かれていくのがわかるほど強い光の中、飛び回る昆虫すべてが息子にとって宝石だった。花に集まるハナムグリたち。図鑑でしか見たことのない昆虫が今目の前にいるのだ。それは思ったよりすばしっこく、うかつに手を伸ばすとすぐに飛び立ってしまう。俺、自分で捕る。真剣な眼差しでそうっとそうっと手を伸ばす。やった捕れた、捕れたよ!そうだよ、それが本物のハナムグリさ。図鑑通りかい?それとも全然違ったかい?

 

足を止めようと思えばいくらでも止められてしまう。目を凝らして見れば体長5ミリ程度のハムシの仲間が両脇の葉のあちこちにいる。緑、紫、赤。本物の宝石よりも輝く虫たちを見つけるたびに息子は驚嘆の声をあげながら手のひらにのせている。ハムシなんてそこらじゅうにいるのさ。あんまり小さいからみんな気にもとめないだけなのさ。でもよく見るとすごくきれいだろう?ぼくは草の間に立ちこめる緑の匂いを胸いっぱいに吸い込んで言った。

 

アキアカネがやってくるには少し早いが、その代わりにシオカラトンボがたくさん飛んでいる。最初はぼくに捕ってといっていた息子も次第に意欲が湧いてきて自分で捕ると網をふるった。そんな息子をあざ笑うかのようにトンボは網をすり抜ける。ぼくが代わりに捕るのは簡単だが、息子には自分で捕る感動を味わってほしい。だからぼくは手を貸さずに眺めていた。そしたらついに自分でシオカラトンボを捕まえた!何度も何度も網を振って、ついに自分で捕まえたのだ。

 

今回の一番の目的はカマキリの捕獲であった。しかしバッタと違ってカマキリはそこらじゅうにいる昆虫ではない。息子の喜ぶ顔は見たいが、お金を払っておもちゃを買うのとはわけが違う。相手は自然である。しかし、だからといって運にまかせていいはずもない。ぼくも幼少期には昆虫博士を名乗っていたのである。待っていろよカマキリよ。必ず見つけ出してやるからな。ぼくは経験知を総動員してカマキリのいそうなところを目を皿のようにして探した。そして、みつけました。み、つ、け、ま、し、た。どうだい息子よ。お父さんやるだろう?

 

ひと月ほど前に来たときに比べて、森はぐっと静かになった。わんわんと耳の中こだましていたアブラゼミの合唱が消え、ときおり力なく鳴いているだけである。梢に止まるアブラゼミの生き残りも元気なく、捕まえても身動きできないものもいる。もう1週間もすればアブラゼミの季節は終わるのだ。そして今はツクツクボウシがあちこちでその自慢の喉を聞かせている。ツクツクボウシはたいへん警戒心が強く敏捷でなかなか捕まえられない。しかし息子にツクツクボウシを見せてやりたい父親の執念によってオスメスペアで捕獲に成功した。お父さんやるだ(略

 

まるで惑星エンドアのようにメタセコイアが林立する森の中を歩くのは実に気持ちがいい。日差しは適度に遮られて梢を抜ける風も幾分か涼しく感じられるものだ。ただし、針葉樹は昆虫採集は不向きで、とりわけセミがいなくなった今の時期は生き物の気配がしない。開店休業状態の蜘蛛の巣が店主不在のままあちこちで垂れ下がっているだけだ。

 

さすがに暑すぎるから少し休憩しようよ。入ったさきにかき氷の文字。まあいいさ。今年はお祭りもなかったから特別だよ。でもなんで子どもってブルーハワイが好きなんだろうね。かき氷ほど、大人になると食べる気がしなくなるものもない。ただの氷を削っただけに何百円も払う気にならないし、シロップなんて人工的に甘すぎて気持ち悪い。でもわかるよ。ぼくも子供の頃はブルーハワイが好きだったよ。そして青くなった舌を見せあったものさ。

 

虫かごいっぱいになった戦利品は全部置いていこうよ。それは念願の昆虫たちを手にした息子には少々過酷だったかもしれない。しぶしぶ逃して空になった虫かごをみて息子は泣いた。数々の暴言をぼくに向かって吐いて、罵って、わめいて。だからぼくは彼が落ち着くまで待っていたけど、息子は公園の出口を通り過ぎて再び森に向かって走り出して、イナゴを10匹捕らなきゃ帰らないと泣いた。5匹ほど捕まえたところでお父さん捕ってと網をぼくに押し付けた。太陽はますます強さを増して影はほとんど点になっていた。息子は涙と鼻水に汚れた顔を拭うこともせずに虫かごに跳ねるイナゴを眺めていた。ああ夏が終わるんだなあ。