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畑行こうぜ!

時折滝のように雨が降る。千葉駅から総武本線に乗って出たところで豪雨となり、雨で白く煙る窓の外を眺めながらも気分は明るかった。こんな強い雨が長続きするとは思えなかったし、なによりもうちの息子はスーパー晴れ男なのである。生まれたときから笑顔だったから太陽の子なのだと思う。

 

予想通り八街駅につく頃には青空が広がっていた。冷房の効いた車内からでるとまるで真夏のように蒸し暑い空気に絡まれた。九州を直撃するであろう台風の影響は遠く千葉県まで届いていた。

 

完一さんのちょっと遅れますの連絡のあと、なぜか知人が駅まで迎えにきてくれる。息子は初めてプリウスに乗れるとはしゃいだ。昆虫熱にうかされていても自動車はまだ好きらしい。畑の空気は降ったばかりの大雨でむっとしていたが、時々吹き抜ける風がひんやりと心地よい。もわもわとたちこめる草いきれを胸いっぱい吸い込みながらみんなでぽくぽくと田んぼまで歩いていく。

稲刈りに飽きた子どもたちが虫捕りに夢中になる。なにしろここは田んぼだからイナゴがたくさんいる。稲子と書いてイナゴなのだからいるに決まっている。完一さんはあんまり見ないと言っていたが、東京から来た我々には十分すぎるくらいにイナゴが跳ねていた。

 

雲の流れが速くて、時々パラパラっと雨が降ったかと思うと太陽がキッと光を浴びせてくる。雨は天然のシャワーで心地よく、日光は厳しすぎるほどに暑い。もしかすると一番虫捕りに興じたかったのはぼくかもしれないが、娘が抱っこしないと許してくれないので名残惜しくも田んぼをあとにした。

 

見渡す限り里山が広がり、都会ではすでに聞こえなくなったセミたちがまだ合唱している。9月だからツクツクボウシが優勢で、林の中から夏の終わりをしきりに惜しむ声がする。

 

田んぼに水を引き込む水路にカエルを見つけた。捕まえたいなあ。ずっしりと腕にのしかかる娘の体重を受け止めながらカエルを横目に歩いていく。バッタがぼくの足元でぴょんぴょん飛び跳ねて挑発している。ちぇ。

 

完一さん野菜いっぱいのお昼ごはんを食べてから、ぼくは草木の茂みに目を凝らす。するとイチジクの葉の影でトノサマバッタが脱皮をしていた。傍らに今脱いだばかりの抜け殻がぶら下がり、まだ乾ききっていない柔らかい羽の先端を縮こませて不安そうにぼくを見ている。そうだよな。今天敵に襲われたらひとたまりもないものな。ぼくはそっとその場を離れて息子を呼びにいって、その様子をみせてやる。抜け殻はとっていいけどバッタはそっとしておいてやろうね、と言って。

 

こんな自然いっぱいのところだから、当然いるだろうなと探していたらやっぱりいた。子どもたちのヒーロー、カマキリである。しかしぼくが捕まえたカマキリを巡って後ほど子どもたちの間でケンカが勃発するのであるが、自分で捕れない都会っ子の悲哀を感じずにはいられない。

 

おとうさん、トマト屋さんだからね。娘がそういって落ちているトマトを集めてテーブルに並べている。宝石のようにぴかぴかしているトマトを小さな手にいっぱい拾ってきてはそれを丁寧に並べている。こんなところに暮らしたらおもちゃなんかいらないねえ。遊べるものがそこらじゅうにあるよ。

 

午後のひとときをそれぞれが過ごして、太陽の力は相変わらず強いけれどもぼくらはピーナッツの収穫に向かった。ピーナッツがなぜ落花生と呼ばれるのか、それは実際に植わっているところを見ればよく分かる。でもこどもたちはそんなことにはお構いなしに引っこ抜くことに真剣だ。ずぼずぼずぼと引っこ抜けばよく見るピーナッツの殻が現れる。生のピーナッツはどう料理しようかねえ。パスタの具にでもしてみようかな。

 

土だらけになっても楽しいっていうキミをみて、おとうさんは嬉しいよ。洋服に泥がついただけで帰りたいだなんて言ってたんだもの。子どもはやっぱりたくさん土にふれるべきだな。大人だって緑に囲まれて大地と触れ合っているだけで気分がいいものな。ましてや地面との距離が近いキミたちはいい土と触れ合わなければいけないよ。

 

また来ようね。今度は芋掘りかな。涼しくなっているといいね。大丈夫、虫はたくさんいるさ。

心地よい疲れに誘われて、帰りは寝るかと思ったら友達たちと大騒ぎ。楽しい思い出を少しでも長く続かせたくって、最後の最後まで力いっぱい遊んだ日の眠りは深いや。