
今朝、保育園へ送り出すと思われる三世代親子をみた。
祖母が孫に向かって手を振りこういった。
「楽しんできてね!」
それがぼくの耳に入ってきたのであるが、そのとき言われようのない違和感を感じてしまったのです。それはどんな違和感か。
楽しんできてねといのは楽しんでくるのが前提なのか。楽しまなければいけないのか。これが大人同士の会話ならほとんど意味のない言葉として受け流せるのであるが、幼少期の子どもに投げかける言葉としてそれは果たして良いことなのだろうか、とぼくは思ってしまったのである。
もし仮にその子がとても繊細な心の持ち主だったりしたら、今日一日さして楽しめなかったことに気を落としたり、ひどいと罪悪感すら抱きかねないのではないだろうか。楽しんできてねには保育園なり幼稚園に行ったら楽しまなければいけないことという認識を押し付ける効果があるかもしれないなどと考えるぼくは考えすぎか。
幼少期の子どもが保育園や幼稚園でどんな刺激を受けてどのように受け取ってどのように解釈をするのかは全く本人次第であるべきだ。ただでさえそういう施設に入っている時点で型にはまりがちになるわけだから、できるだけYES/NOではなくオープンエンドな状況を作ってやることが子どもの個性を育てるためには必要であるとぼくは考えている。
楽しんできてねにはくるかこないかの2択しかない。ではこの場合どう言えばよかったのかといえば、ただいってらっしゃいと言えばよかったのである。
しかしここで、英語の世界では"HAVE A FUN!” という言い方がよくあるだろうというひともあろう。これはまさに直訳すれば楽しんできてねに相当する。アメリカ人なんかしょっちゅう言っているではないかというわけである。それはそうだが、そもそも文化も人格形成の仕方も歴史もなにもかも違う。それに英語にはいってらっしゃいもお帰りなさいもただいまもないから、別れ際の"HAVE A FUN"を訳するとしたら「いってらっしゃい」がやはり妥当なのではないかと思います。もちろん最終的には文脈によりますが。
とここまで書いてやはりぼくは少し考えすぎなのではないだろうかという気持ちが起こってくる。であるとあの違和感はどこからきたのだろうかと考えてみると、その言葉を発した方の「言い方」に引っかかったとも思える。少し強い感じで楽しんでこなければだめだよというニュアンスを感じたのだ。同じ言葉でも言い方ひとつでその意味合いがガラッと変わることはだれしも経験していることであろう。だからやっぱり言い方って大事だなって話。え、そこ?