
最近嫌われている。
ぼくが迎えに行くと肩を落として大きなため息をついてがっかりする。面と向かって「お父さん迎えに来ちゃ駄目」と強い口調で言う。「お母さんがよかった。お母さん迎えに来てほしい」とぼくに向かっていう。ずいぶん酷いことをズケズケとそれもほぼ毎日言うからぼくはだいぶ傷ついてともすればよよと泣き崩れずにはいられない。
あんまり不平ばかり言うものだからぼくは言ってやるのだ。「そんならいいよ、もう抱っこもしないしご飯のときお膝にのせてやらないし、しーらんぺーだからね」そうなのだ。三歳の娘は食事のときなぜかぼくの膝の上で食べるのが習慣になっている。朝と夜両方だ。そしてこれが地味に邪魔くさい。なにしろもう三歳だから体は大きいし膝の上で好き勝手に動き回る。ぼくはテーブルに手がろくに届かずいつも肩身の狭い居候のようにそそくさと自分の食事をかき込むことを余儀なくされている。
大体娘はぼくに対する不平を言うくせに食事のとき膝に乗せないというと大泣きをする。それが謝罪の涙ならまだいいが、自分の要求が叶えられないための大泣きだから始末が悪い。そう娘はイヤイヤ期真っ只中、いや絶頂期、MAXなのだ。ぼくは息子で経験しているからよく分かる。イヤイヤ期というのは三歳でこの世の春を迎えてそれを存分に謳歌させてやると四歳に向かって自然と収まっていくのだ。人間は生まれて四歳になるとようやく人間になる。三歳なんてまだどちらかといえば動物に近い。だからぼくは娘のイヤイヤを適当に受け止めたり受け流したり怒ったり静観したり瞑想したり達観したりしている。そのときどういう態度にでるかはそのときのぼくの精神状態次第だ。文句あるか。
まあどのような態度に出ようと娘がそのエネルギーを発散しないことには収集がつかない。であるからぼくは娘を膝に乗せて食事をするし、どんなにキライだバカだあっち行けと言われても言われるがままに任せている。イヤイヤ期を解決できるのは時間しかないのだ。
かようにして嫌われたり時々好きって言ってくれたりして翻弄されている日々を送っているが、ひとつだけよかったことがある。それは嫌いの対象が妻ではなくぼくであるということだ。ぼくはどんなに娘に嫌いだ馬鹿だあっち行けと言われても一ミリも気にならない。最初に傷つくようなことを言ったが本当言うと全然気にならない。勝手に言ってれば〜という気分である。ところがおそらく妻は違うと思う。それがイヤイヤ期の戯言と知っていても傷つくのではないかと思う。この違いはなにかというと…(この先はおとこそイベントにて明かされます)。
今日もまた娘は「お父さんヤダヤダ」言っていた。明日もヤダヤダ言うのだろう。明後日もその次もそのまた次も。はやく四歳になんないかなあ。でも赤ちゃん的可愛さは三歳までなんだよなあ。イヤイヤ期というのはまさに動物が人間になろうとするときの葛藤が発散される時期なんだなあ。