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小一Depression

 息子が小学生に上がっておよそ2ヶ月が経った。

 

ランドセルが来たときはとても喜んで、用もないのに背中に背負ったりしていたほど待ちわびた小学校だった。あのとき息子はなにを想像していたのだろう。少なくとも実際に学校が始まって、本格的な授業が開始されるとそれは少年が胸に抱いていたものとはだいぶかけ離れたものだったことに気がついた。

 

「今日はどうだった?」と聞けば、「学童からでいい?」と答える始末。

 「なんで。学校のほうはどうなの?」

 「俺もう5時間授業いやだ」

 「長いよね5時間。お父さんも嫌いだったよ」

 

そんな会話を夕食のとき、お風呂のときよくした。学童は楽しいらしい。それはそうだ。ただ好きなように遊んで出されるおやつを食べてまたお迎えの時間まで遊ぶ。それは保育園の延長なのだ。ところが学校は違う。45分間じっとしていなければならず、5分の休憩(昔は10分だった!)は1秒で過ぎ去る。まだ時計をちゃんと読めない息子にとって、45分というのはいつ終わるのかわからないほとんど永遠に等しいのだろう。ことあるごとに時計を指して今何時何分と聞くのだけれど、ルールを理解していないから大抵間違える。どうもあまり得意ではないようだ。

 

毎日疲労困憊して布団に入った瞬間に寝落ちする。案外真面目な性格だから適当に気が抜けず集中しすぎるくらいに集中しているのだろう。それなら早く寝ればいいのにと思うが、そこは子供である。起きている間は寝るのが惜しくてなかなかベッドに上がろうとしない。それでも朝起きる時間は変わりないから次第に寝不足によるストレスが蓄積する。もちろんそれにすら気が付かない。

 

あんまり学校で頑張りすぎるせいか、小学校にあがってから赤ちゃん返りした。もともと甘えん坊ではあるが、保育園時代にはなかったダダのこね方。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって大きな体で3歳児のように泣く。3歳の妹のマネをしているとも言えるが、そういう振る舞いをすることを選択するようになったのは小学生になってからである。一番年上だった保育園時代から、一番年下になった小学校で先祖返りならぬ態度の退行はある程度あるとは聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかった。

 

こちらとしても、対応してあげられるときはするがそれはいつもではない。それにイヤイヤを始めるのはきまってこちらが忙しいときであるから、声を荒げてしまうことも少なくない。いい加減にしろ、と。

 

そしてついに糸が切れた。息子人生初登校拒否だった。

 

日曜日の夜から学校へ行きたくないと言い出して、ついには絶対に行かないとまで叫んだ。なにをほざいていると思ったが、夜が明けてからもその意思は崩れていなかった。頭が痛い。絶対に行かないと泣き叫んで布団を頭からかぶって籠城した。ぼくは大変頭にきた。そして考えた。息子のペースに飲まれてはいけない。まず、今日一日はぼくも外出する予定はない。まあいいか。今日一日くらい。

 

ぼくは子供らを家において急いで集団登校の集合場所へ行き、クラスメイトに連絡帳をお願いした(前時代的なシステム!)。それから戻って妹を保育園に送り届けて帰宅したら息子は眠っていた。ぼくは仕事をしながらあんまり静かなので時々覗きにいって息をしているか確認した。普段はぐーぐーごーごーバリバリ(歯ぎしり)うるさいのに寝息も立てずに眠っている。午前中いっぱい眠り通してさすがにお昼になって起こした。

 

パスタを茹でて小松菜をたくさん入れて二人で食べた。妻が週末に作ってくれた鯵の南蛮漬けを出してやる。「おとうさん、おれ頭苦手」というからぼくは鯵の頭だけ食べた。郵便局に用事があったので散歩ついでに一緒に行こうと誘ったらすっかり元気になって表へ出た途端に走り出した。帰り道に天祖神社にお参りしてスーパーでアイスを買って公園のベンチで並んで食べた。妹には言っちゃ駄目だよ、秘密だからね。うんわかったとは言葉ばかりでさっそく帰宅するなりバラしていたが。明日は学校へ行くんだよと言ったら頷いていた。

 

そして今日は何事もなく登校して行った。この先も様々な困難があるだろう。そんなとき、まず最初に直面するのは息子本人でなければならない。先回りして用意周到してはいけないとぼくは思っている。今はまだ親の力でなんとでもなるが、やがて親の力ではどうしようもないことだって出てくるからだ。You face first, we support secondである。息子はすっかり元気になっておふざけが過ぎて頭に来てコノヤロウなんて思うことしきりだが、元気の証拠ということでできる限り見過ごしていき……。