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許して、許して、許して、許して、最後に許す、のが親

 

腸が煮えくり返るとはこのことを言う。

 

 

 

他人のうちへ行ってはしゃぎすぎて騒ぎ周り、それを制止すると悪態をついて逃げ回る。こちらの口調もだんだん強くなる。走る息子を捉えて怒る。すると今度は大声で泣きわめき散らして、暴れだす。ただやりたいやりたりやりたいの一点張りになって、それはまるで自分で自分を興奮させているようにさえ見える。彼の衝動は指数関数的に増大してぼくはおろか、本人でさえ収拾がつかなくなってしまう。そのうち血管が切れて内部から破裂するんじゃないかと思うほどに癇癪とダダが暴走していくのを目の当たりにすると、こちらの怒りがそれに呼応するかのように指数関数的に増大して胸が異様にムカついてくるのがわかる。

 

 

 

ああなるほど、ここで殴る蹴るに発展するのかと妙に納得した。暴力はいけません。DVは犯罪です。その意見に反論するつもりもないし、そのとおりだとぼくも考えている。しかしその衝動を抑えきれずにこぶしを振り上げてしまったひとの気持ちもとてもよく理解できる。

 

 

 

ぼくはわめき罵り暴れまわる息子の腕を離してひとり表へ出た。彼の衝動に向き合いすぎてはいけない。彼のペースに飲まれてはいけないのだ。息子の泣き声が通りに響く。近所迷惑?知ったことかと思った。今はとにかく距離が必要なのだ。ここで声をかけたとしてもそれが通用しないばかりか、それが余計な刺激となってより激しくなるからだ。ぼくと妻は道路に立って赤ちゃんのように泣き続ける息子の声を聞いていた。嵐はいつか過ぎ去るように、当所のなくなった息子の衝動も収まっていった。もっとも、これで息子は納得したわけではない。ただ泣き止んだというだけで、なにひとつ納得などしていない。子どもが納得するのはすごくすごく時間がかかる。このときは夜になってもう一度話し合いその場では納得したように見えた。とりあえず、それでこちらが納得するしかない。

 

 

 

子どもを相手にしていると、本当にいつも試されているように感じる。どんなに頭に来ても、どんなに腸が煮えくり返っても、最後には許すしかない。そして必ず最後は許してくれると思うからこそ、子どもは全力をぶつけてくることができるとも言えるだろう。だから今日もまた許さねばなるまい。JEDIの道は厳しい。