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まずいものがすき

子どもは冒険しない。

 

 

 

特に食べ物に関して強くそう思う。それはきっと知識や経験のなさを本能で補って、体を守っているからである、なんて考えたりする。

 

 

 

だからよく見知っている食べ物ばかりを集中的に食べるし、新しいものを促してもなかなか食べようとしないのである。それならば親が食べて見せれば子どもも食べたくなるかというとそうとは限らない。しかしこれが友達が食べたとか、お客さまがたべたとなると話は違う。俄然自分にもよこせと言ってくること間違いなしだ。その結果、やっぱりいらないとなるか、そのまま食べ続けるかは食品次第であるが、そんなふうにして子どもは味覚の幅を少しずつ広げていっている。

 

 

 

子どものもうひとつの食べ物に関する嗜好について。子どもはまずいものがすきだ。まずいものというのは化学調味料や人工甘味料にまみれたお菓子などは中毒的に好きである。もちろん丁寧に作られた自然素材だけのお菓子だって好きであるが、駄菓子に対する執着は並々ならぬものがある。

 

 

 

人工的に作られた味や匂いは非常に強烈でトゲトゲしく、そしてわかりやすい。あの強い味を一度知ってしまうと薬物中毒者のようにその刺激を求めるようになってしまうようだ。その実ぼくだって子供の頃そういう経験が記憶にある。駄菓子屋のお菓子はなぜあんなに美味しかったのだろう。でもあるときを境にパタッと駄菓子を口にしなくなった。とたんに興味が失せたのである。それよりも大福を腹いっぱい食べるほうが好きになったのである。

 

 

 

駄菓子ではどんなに食べても胃袋は満たせないと気がついたのだろうか。年齢的に駄菓子屋に寄り付かなくなっただけだろうか。とにかく気がつけば駄菓子のような添加物まみれの食べ物はすっかり嫌いになっていた。

 

 

 

我が子たちにはなるべく駄菓子など食べてほしくない。しかしまるきり毒を知らずに育つのもいかがなものかという思いもある。それに自分を例にとれば、駄菓子などにうつつを抜かしているのも小さいうちだけであると自分を言い聞かせているフシもある。

 

 

 

今日も子どもたちはぼくのおすすめを無視してかき氷を固めたようなアイスを頬張る。ぜったいまずいからよしなよと言ってもキッズクラブで食べたことがあるから大丈夫と兄が言えば、妹も追従する。キッズクラブでこんなものをおやつに出しているのかと辟易しながら、じゃあそうすればとぼくは言った。兄だけなら説得可能であるが、妹の説得は不可能である。四歳を超えるまで辛抱である。かくして二人並んでいちご風味のかき氷を嬉しそうに食べている。コロナでこの世からお祭りが消えてかき氷が食べられなくなったから、このかき氷的何かはことさら強く子どもたちの心を惹くのだろう。

 

 

 

そんなに美味しいのと聞いて一口もらったら、案の定かき氷のいちごシロップ漬けだった。この舌にベタつく感じがたまらない。おえっ。