
今までクリスマスプレゼントというものは上げてこなかった。理由は我が家に煙突がないからである。僕自身もらったことがなかったので、上げないことになんの抵抗もなかった。
ぼくは子供の頃、クリスマスプレゼントがもらえないことが逆にサンタクロースの存在を
確かなものにしていた。クリスマスイブの夜、ぼくは布団に横になって天窓を凝視していた。
プレゼントがもらえないまでもサンタクロースの姿をひと目でも見ようと思っていたからである。
一年に一度の特別な夜。僕は毎年毎年天窓をにらみ続けていたが睡魔に勝てず
気がつくと朝を迎えていた。今年もサンタクロースが空をゆくのを見ることができなかった。
枕元には当然プレゼントはない。ぼくはプレゼントがないことよりもサンタクロースを
見ることができなかったことがよほど悔しかった。
やがてサンタクロースというイリュージョンを理解するようになるまで十センチばかり
の細長く開いた空を眺め続けたのであった。
子供ができてもクリスマスプレゼントはあげない方針だった。とくに子供が一人のときは
黙っていてもあちらこちらからプレゼントがやってくる。初孫にジジババが放っておく
はずがないのだ。ところが二人目となると対応がずいぶん違う。長男が手に入れたおもちゃ
の量に比べて妹のそれはとても少ない。兄ほど物欲が強くないせいもあるだろうが、
ねだってもいないのに買ってやろうかと言っていたジジババはどこへいったのか。
もっともジジババのせいばかりではない。三歳の人生のうち二年をコロナ禍で過ごしている。
実に人生の2/3がコロナ禍にあり、ジジババに会う頻度が長男にくらべて著しく減ったことも
大きい。
こんな記事を読んだ。
クリスマスが近づくとサンタクロースに手紙を書くのだという。それが子どもたちだけでなくて、父親も一緒に手紙を書くという。サンタさんに欲しいものをお願いする手紙を親子で書くのだ。
そして二十五日の朝、親子ともにプレゼントが枕元に届くのである。むろん父親は自分で買って自分で置いているわけであるが、なんかちょっといいな、と思ってしまった。
お父さんも欲しいものがもらえてよかったね、と子どもたちが言うらしい。
細部は忘れてしまったがそんな内容だった。手紙いいかもね……。
そして今年も冬がやってきた。
小学一年生になった息子は我が家に煙突がないからプレゼントがもらえないことを
理解し、半ば諦めぎみに「俺もプレゼントもらえたらいいなあ」などとつぶやく。
「そしたらさあ、サンタさんに手紙を書いてみたらどうかな?」そのぼくの一言に
息子の顔がぱあと明るくなった。
「書く、書く、書くよ!」
そうして書いたのが上の写真である。まだ文字の書けない妹の代筆までした。
イラストまでついている気合の入れようである。さらにサンタクロース「様」
までついている。神様仏様サンタクロース様というわけか。
「じゃあ、お父さんが出しておくよ」
そういって手紙を預かった。
「ちゃんと手紙届くかなあ」
「もう届いたかなあ」
「ちゃんと手紙出してくれた?」
「届いたよねえ?」
息子は毎日のように手紙の配達を気にしている。
ぼくはファンタジーとかイリュージョンとかそういうのが大好きだから、
息子が真剣にサンタクロースを考えているのが嬉しくてたまらない。
「なんでサンタクロースは夜だけなの?」
「そうだねえ、昼間も配ればいいのにね」
「恥ずかしがり屋なのかな?」
「そうかもねえ」
「ねえ、サンタってさ、サンタってさ」