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妹の誕生日に兄は泣いた。

誕生日というのは、年齢が若ければ若いほど、つまり子どもであればあるほどその意味合いは強く大きいものになる。それは、普段買ってもらえないものを買ってもらえるということもあるだろう。しかし、それ以上に誕生日という日が特別な一日であることが、言葉にはならない感情として子どもたちは持っている。その強さに個人差はあるが、とくに我が息子はそれが強いように感じる。

 

 

 

いつだって、どんなときだって息子を優先しない日はないというのに、本人は足りないという。息子の心は穴のあいた50メートルプールだ。決して満たされるということはないし、一度ホースで愛情を注ぎ込むのを止めればあっという間にプールは空になってしまう。だからぼくらは消防車の高圧ポンプで愛情を放水し続けている。ところが、一年に一度だけ放水が止まってしまう日がある。放水停止。それが、妹の誕生日である。

 

 

 

親にとって兄弟の優劣はないが、圧倒的優位を望む兄にとって平等は不公平と同義であるとは以前書いた。普段ですらそうなのである。妹の誕生日で妹優位。妹特別扱い。妹ぷりりんぷりりん。そんな一日が心穏やかでいられるはずがない。

 

 

 

そしてクライマックスはバースデーケーキの時間にやってきた。ろうそくの火を吹き消して、おめでとうを言う。ぼくは娘にカメラを向けてシャッターを切りまくる。娘は満面の笑みでケーキを頬張る。家族団らん。まるで絵に描いたような幸せの風景を突然嗚咽が破った。

 

 

 

見れば息子が顔を歪めて泣いている。涙を流して泣いている。みんな妹ばっかり。おれはいらないって言うんだね。おれが死んでもいいっていうんだね。おーいおいおい。おーいおいおい。

 

 

 

そこでそんなことないよ、お父さんはキミも大好きだよと言えるほどこちらも人間ができていない。今日は妹の誕生日だろ、お前が泣いてぶち壊すんじゃない!とブチギレ。

 

 

 

実はアニキが妹の誕生日で泣くのは今回が初めてではない。去年も泣いた。もっと言えば妹が生まれたその日に大泣きした。息子にとって妹の誕生はパラダイスの終焉であった。サンクチュアリの侵害であった。キングダムの凋落であった。だから妹の誕生日になると思い出すのである。あの失われた楽園を。永遠に戻らない一人っ子の日々を。だから彼は泣くのである。どんなに手を伸ばしても届かぬ彼岸と決別する日まで、彼は泣くのである。