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娘のストレス

 

 四月から新しい保育園に移った娘は慣れない保育園が嫌でたまらない。行きたくない。早く迎えにきて。そんな言葉の繰り返しで胸が痛むがだからと言って保育園へやらないわけにはいかない。かわいそうだと思うがこればっかりは慣れてもらうよりほかはないのだ。

 

 

 

彼女の保育園に対するストレスは帰宅すると炸裂する。

 

靴や靴下を脱がせるのは日常茶飯事だが、こないだはひどかった。自分で脱いだ靴下を持ってきてもう一度履かせろというのである。そしてそれを脱がせろというのである。リ・フ・ジン!もうすでに脱いでるんだから嫌だよといっても泣いてひたすら要求する。

 

 

 

すると床に点々と涙がこぼれた。

 

それをぼくがティッシュで拭うと拭き方が違うと怒鳴る。もっとゆっくり!そうじゃないって。もっとゆっくり!ちがうって。もーあやまって!ごめんねって言って!

 

 

 

なぜぼくが謝らないといけないのだろう。一体ぼくがなにをしたというのだろう。

 

 

 

こっちも拭いて!というのでみるとそこは乾いた床である。どこにも涙は落ちていない。

 

なんで?濡れてないよ?

 

違うって。拭いてっていってるでしょ!ごめんねって言って!やさしくごめんねって言って!

 

ごめんね〜。

 

 

 

そうじゃないって!やさしくごめんねって言って!

 

 

 

やさしくごめんね。

 

 

 

ちがうってばあ!

 

 

 

娘は涙でぐちゃぐちゃの顔で叫んでいる。シーシュポスの神話という物語がある。神を愚弄した罰としてゼウスは彼に丘の上まで岩を運ぶことを命ずる。シーシュポスがようやく丘のてっぺんに岩を運ぶと岩は自然と転がり落ちてもとの位置に戻ってしまう。シーシュポスは永遠にこれを繰り返さねばならない。という話である。

 

 

 

ぼくは常々子育てとはシーシュポスの神話であると思っている。どちらも理不尽であるが決して逃げることのできない状況下におかれている。娘は自分が溜め込んだストレスを全力でぼくに吐き出している。不思議なことに妻にはしないのである。ただぼくにだけ吐き出すのである。まともに付き合っていると1時間くらいはわめき続けている。ただぼくは腹をすかせたアニキにご飯を食べさせなければいけない義務があるからどうしても強制的に中断してしまう。当然娘は不服であるから、本当に文字通り「ぎゃー」って叫ぶんだけれども、物分りのいいところもあってぎゅうと抱きしめているとやがて落ち着いていく。最近そのあとしとやかにしくしく泣くことがあって、これがたいへん胸に響くと同時に人間になってきたなあという感慨もある。