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真夜中の昆虫採集

 

「真夜中の昆虫採集」

 

 

 

二時に起きて三時には出ようねとぼくは言ったのに、お願いだから一時に起きたいとせがむのでぼくは一時半に目覚ましをセットした。今日は早く寝るよと言って八時にベッドに入ったのに、同時に寝かそうと思った妹が全然寝なくってうるさい。それでなんやかやと時間が過ぎて九時半くらいだろうか、ようやく妹が眠りに落ちたようだった。さてこれで眠れるかと思ったが、そもそも九時半はぼくには早すぎる就寝時間で眠れない。ごろごろして眠れない時間を過ごす。寝ようと思って眠れないのはなかなか辛いものである。とくに翌日早起きしなければいけないのだから余計気持ちが焦っていよいよ眠れなくなった。

 

 

 

やがて下で週末の一杯をひっかけた妻が二階にあがってきた。息子がお母さんとかなんとか言っている。十一時くらいだろうか。息子も興奮して眠れないらしい。始終もぞもぞ動いていてそれが気になってぼくも寝付けない。息子はよほど眠れないと見えて暗闇の中を徘徊している。泥棒かキミは。ぼくはそんな物音がするものだから全く眠れるはずもなく、辛くって仕方がない。息子は徘徊をやめてぼくの隣に潜り込んできてようやく眠ったようである。ちくしょーいいよな子どもって。こういうとき大人は増々眠れなくなる。大人というかぼくは眠れない質である。寝ているんだか起きているんだかわからないまどろみがようやく訪れた頃無情にもセットしたアラームが鳴った。

 

 

 

爆睡している息子をゆさぶって起こす。妻と妹が寝ているので声を出すわけにはいかないのだ。これが平日ならなかなか起きられない息子がスパッと目を覚ました。普段もこの調子でお願いします。おにぎりを二つ作ってそれぞれが食べ、身支度その他を済まして午前二時に玄関を出た。外は真っ暗である。当たり前か。息子のウキウキが止まらないのはこちらにもガンガン伝わってくるが、ぼくも何十年ぶりの深夜の昆虫採集だから気分が高まっているのが自分でもわかった。誰だって興奮するよな。

 

 

 

安全運転で行くよと声をかけて自転車で走り出す。ぼくが前を走り息子が後ろにつく。500ルーメンのライトがぼくの背中を照らすからその明るさによって息子とぼくの距離がよくわかった。暗闇の道を走ること三十分、ついにぼくらは森の入り口に到着した。時刻は二時半。日の出は四時半なので完全に暗いのは一時間半くらいだ。濃密な一時間半の始まりである。

 

 

 

ひとたび森の中へと足を踏み入れるとそこは完全な闇である。漆黒の闇とはまさにこのことである。その暗さはちょっと怖いくらいだ。息子は恐怖をしらないのか、それともぼくを信頼しきっているのか、はたまた頭の中はクワガタで一杯なのかわからないがあまり怖そうな素振りをみせない。だからぼくも怖いねとは言わなかった。闇は懐中電灯で照らすとより一層その暗さを増した。光に目が慣れるから、暗闇が余計に黒く見えるのである。その森は丘になっていて、ぼくらは昼間よく見知った階段を上がっていく。あ、いた!どこ!

 

 

 

いきなりコクワのオスを発見だ。コクワと言えどいいサイズである。大型といっていいだろう。幸先のよいスタートである。ところがそれから虫の気配がパタリと消えた。木々は樹液を溢れさせているが昆虫がいない。ぼくらの目指すクワガタやカブトムシはおろか、カナブン一匹いない。ぼくらはポイントとして押さえていた木を丹念に捜索したが全然いないのである。一瞬今日の成果がコクワ一匹だったらという考えが脳裏をよぎる。いやいやそんなはずはない。この森はぼくら家族の移住先に決定打をあたえた森である。そんなはずは断じてない。ぼくら親子は気持ちを奮い起こして森の奥へと突き進んだ。そしてそれは唐突に訪れた。

 

 

 

あ、ノコ!いた!どこ!ノコ!どこ!ノコ!いたいた!いたいたいたいたいたいたいたたたたたたたたたいたあっ!!!!!!

 

 

 

そこはノコギリクワガタの楽園であった。ノコノコパーティ絶賛開催中であった。あとからのこのこやってきたノコは懐中電灯に激突した。あたりに響く羽音は全部ノコギリクワガタの羽音だった。

 

 

 

メスはいらん!オスだけ捕れ!捕ったか!捕った!よっしゃー!こっちも!こっちもこっちも!かごに入れたか!入れた入れた!わっひょーい!

 

 

 

こんなのぼくも初めて。こんなパラダイスみたことない。生きててよかった。移住してよかった。そしてなにより息子が昆虫好きになってくれてよかったーっ!

 

 

 

クワガタやカブトムシというのは森のなかにまんべんなくいるのではなくて、ある一箇所に集中して集まる傾向にある。それは樹液を食べにくるという目的だけでなく交尾相手を見つけるためでもあるからであろう。ぼくらはそんなポイントを数カ所巡って、息子はホクホク顔になって、虫かごがずっしりと重くなったころ、空が色づき始めた。

 

 

 

東の方角を見ると、まず最初に木々の隙間がピンク色に染まった。文字通り桃色になった空を見て息子がきれいだねと言った。うんきれいだね。そして空は一瞬の赤を経てオレンジ色になって、黒く塗りつぶされていた森の中に風景を描いていった。わあすごいきれいとまた息子は言った。こんなきれいなの見られるのは早起きした特権だねとぼくが言った。おれたちだけだよな、と息子。そうだね、とぼく。

 

 

 

いよいよ太陽が顔を出すとどこからともなく森を散歩するひとがちらほらと現れて通り過ぎていった。ぼくらは森の端っこまで行って同じ道を辿って往復七キロ歩いて自転車のあるところまで戻ってきた。森には縦横に走る脇道があって本当はそういうところを探せばまだクワガタを見つけられたかもしれないが、息子がもう疲れたといった。それはそうだろう。ほぼ徹夜で、歩き通して、満足いくほどクワガタが捕れて、心も体も満たされたのだ。

 

 

 

帰りも安全運転で帰るよと言って自転車を走らせた。三十分ほどの道のりを経て無事に帰宅したときはぼくもほっとしたものである。ほっとしてさすがに眠くなった。捕ってきたクワガタを飼育ケースに入れると息子はベッドにあがり一瞬で眠りにおちていた。妻が寝ていていいよというのでそれに甘えてぼくもベッドに横になって今度こそ寝た。ところが一時間ほどして娘が執拗にぼくを起こしにやってきた。おーきーて。ねえ、おーきーて。おーきーて!なんでだよ、もう。