· 

マスクを外せない子どもたち

先日ついに市の教育委員会教育長からこんな手紙が配られた。

「マスクを外して生活しよう」

 

学校からのプリントでは一向に効果がなかったということか、ついにおおもとが動くことになったのだろう。ぼくはこの手紙を持ってまるで鬼の首を取ったように息子に言った。

「ほらね、教育委員会だってマスク取ろうぜって言ってるじゃないか。な、もう取っちゃいなよベイビー」

 

教育委員会からということは市内全校に配布されたということである。これでいよいよマスクなし生活に前進するかと思いきや、翌日の集合場所にはいつもどおりマスクをした少年たちが集まっていた。さらに近隣の中学校へ登校する子どもたちも全員マスクをつけている。教育委員会のメッセージなどまるで響いていない。

 

ぼくは一瞬なんでマスク取らないのと少年たちに聞いてみようかという衝動に駆られたが、直前でやめた。だってそうでしょう。子どもたちがマスクをしているということは、この子どもたちの親がマスクをしているということなのである。町中に繰り出してマスクをしていない人の人数を数えてみればわかることである。ぼくを含めて一人か二人。三人いればいい方だ。

 

大人が取らないのに子どもにだけマスクを外せというのはまるで通じない話である。

ぼくは最近思うのであるが、あれだけ嫌がる子どもたちに強制的にマスクの着用を強いてきたのだから、外すときも強制力が必要なのではないだろうか。それをするには大人たちがまず最初にマスクを外して、さあキミたちも外しなさいと言わねばならない。それをマスクをしたまま言ったんじゃあ全然説得力がない。

 

どうして日本ってこうなんだろうって思う。海外ではとくに西洋圏ではマスク不要となった瞬間にみんながマスクをしなくなったと聞く。マスクをしていたのは感染防止に役立つと言われていたからしていたからであって、マスクの有無はあんまり関係ないんじゃないってわかったから外しただけである。すごくシンプルで論理的だと思う。日本人だって例えばアメリカに住んでいたらマスクを外すでしょう?もしあなたがその日本人がマスクを外したのはみんなが外したから外したのだと考えたらあなたはベリーマッチジャパニーズである。

 

ぼくが学生時代に留学していた頃、アメリカに留学にくるような日本人は西洋的な考え方をするひとが多かったと思う。だから同調意識的にマスクを取るんじゃなくて、合理的に外すんですね。その感覚が理解できないひとは日本には多そうですが。

 

教育委員会のひとたちはマスクを外して生活しているんですかね。教育長はマスクを外しているんですかね。学校の先生はマスクをしていないんですかね。たぶんみんなしてるよね。