
友人一家が泊りがけで我が家に昆虫採集にやってきた。息子の保育園時代の同級生で、東京時代はよく一緒に遊んだ仲である。お互いに東京下町を離れてからも交流が続いていて、息子同様昆虫好きになったSくんが楽しみにやってきたのである。そして我が息子もSくんの到着をそれはそれは楽しみに待っていたのである。
普段の親子二人きりの虫捕りと違って、お客さまを迎えた虫捕りは有る種の緊張感がある。それは無事に虫を発見できるかどうかという緊張である。森はクワガタやカブトムシで溢れている。しかし相手は自然だ。気候やタイミングによっては坊主ということも十分有りうるわけだ。せっかく来てもらったのに坊主は申し訳ないなあと思ってしまう。そうなってもぼくのせいではないのではあるが、やはり来たからには笑顔で帰ってほしいと思うのは当然である。
すでに酒を酌み交わして陽気になっている妻たちを尻目にぼくらは麦茶で我慢である。昆虫採集前のアルコール摂取はご法度だ。蚊をはじめとした良からぬ虫たちを呼んでしまう原因にもなるし、真っ暗な森の中をきちんと歩ける感度が鈍ってもいけないからだ。
すでに出かけたくてうずうずしている子どもたちが急かす。しかし十九時になったばかりの空はまだ少し明るい。出発は十九時半。子どもたちは念力でもって夜を呼び起こそうとしているが夏の太陽は粘り強い。
そろそろ準備をしますか、と言って長袖に着替えて虫除けスプレーをかける。イカリジンが最強だが、ディート同様ある種の塗装やプラスティックを溶かすので虫かごや網につかないように気をつけたい。ぼくら親子はそれぞれの自転車に乗り、友人親子は電動アシスト自転車に二人乗りしてもらう。車を出しますよとも言ってくれたが、どこでも停められてすぐに移動できる自転車のほうがフットワークが軽くていいのである。
自転車で五分も走れば第一ポイントに到着する。はっきりいって採集ポイントが多すぎてどこを目指すのかにナビゲーターとしての手腕を求められる。森はとても広く全部を一晩で回るのは無理だから。ぼくは予め目をつけていたポイントへと彼らを誘った。そこは森の入り口にある小さな雑木林で、藪に突入する前の準備運動というか肩慣らしに最適だと思ったからである。そしていきなりヒットどころかホームランだった。クワガタクワガタクワガタクワガタ。そのほとんどはコクワであるが初めて見る野生のクワガタにSくんもお父さんも大興奮だ。
クワガタはたいへん臆病な性格だから、懐中電灯の光があたると死んだふりして木から落ちるか、木の隙間の手が届かないところに逃げ込んでしまう。だから最初はぼくが見つけたものをSくんに捕らせてあげようとしたが、それではとても間に合わないことに気がついた。いたいたおいでおいでとやっている間に逃げられちゃうのである。それで見つけたら即捕獲を宣言して各自自力で発見してもらうことにした。我が子は慣れたものでどんどん発見していく。息子は虫捕りが本当に上手になった。
その雑木林をあら方探し終わって、ぼくらはいよいよ本丸の森へと足を進めていった。本当の闇が待っている森の中へ。
森の蜘蛛の巣だらけの小路を進んでいくと、Sくんがどのくらい暗いのか電気を消してみたいと言った。よしそれじゃあ消してみようと言って一斉に懐中電灯を消す。一瞬にして闇がぼくらを包み込む。しかし見上げれば空が薄ら明るい。地面から立ち上がった闇は木々の梢を伝い葉の先で終わっている。お互いの顔はまったく見えないが空だけがぼんやりと見えるのだ。こりゃ昔は妖怪だの幽霊だのが出るよなと頷きあう。ライトをつけると途端に視界に映像が結ぶ。懐中電灯は闇夜を切り裂くライトセイバーである。This is your life. Do not lose.オビワンは正しかった。
さて、クワガタやカブトムシというのはそこら中の木々にまんべんなくいるわけではない。どちらかというとある一箇所に集中している傾向にある。だからぼくらはいないところはスタスタと歩いてポイントに近づくとその歩を緩めた。
あ、ノコギリクワガタ!今第二ラウンドのゴングがなりました。コナラの木を蹴ると死んだふりしたクワガタが落ちてくる。落ちてくるのはいいが、落ちた場所をしっかり見ていないと絶対に見つからないのである。だから蹴るよと合図するとみんなが一斉に地面に懐中電灯を向ける。ドン!………パサ。パサ。パサ。昆虫は体が軽いから落ちてくるまで若干のタイムラグが生じて落ちた音がする。
地面に落ちたクワガタを見つけるのもまた息子が得意である。ぼくよりもずっと地面に近いせいもあるだろうがいい嗅覚をしている。落ちたクワガタを次々に発見してはせっせと虫かごに収めている。見つかるクワガタはほとんどノコギリクワガタだった。ぼくが子供の頃はノコ一匹捕まえるのが精一杯だったことを考えるとこの森はパラダイスだ。
ポイントからポイントへと移動する。虫かごはどんどん重くなっていく。ほとんどがノコとコクワだったから、ヒラタクワガタの登場はぼくらを興奮させた。コクワほどに小さいヒラタクワガタだったけど、ぼくら親子にとって初めて見る野生のヒラタクワガタである。アドレナリンが脳内を駆け巡る。
Sくんお目当てのカブトムシは二匹。もっといそうであったがこの日はポイントが違ったのだろう。二匹とも息子の虫かごに収まったので一匹あげたらと言ったのだけど、息子は頑として譲らなかった。まあそれは仕方あるまい。
森の中を三時間ほど歩いてSくんがギブアップした。Sくんのお父さんも疲れたを連呼し始めた。ぼくらはいつも森の中を五時間くらい歩き通すから、改めてうちの息子は体力あるのだなあと感心する。
二十三時帰宅。シャワーを浴びて子どもたちはすぐに眠りに落ちたようである。こういうのを幸せな疲れというのだろうなあ。充足。Sくんのお父さんとぼくは缶ビールをプシュッと開けて空けて開けて空けて開けて空けて開けて空けて気がつけば午前三時になっていた。
翌朝、虫かごいっぱいのクワガタを持って、Sくん一家は帰っていった。ぼくと息子はまた二人きりで夜の森に向かった。