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男と女の会話の違い

 

 

男と女では会話の目的が違う。男は情報交換が目的であり、したがって結論が必ずある。女は会話そのものが目的であるからしばしば女の話は中身がないと男は言うが、そもそも中身の意味合いが違うというべきである。

 

 

 

会話そのものが目的ということについてはぼくもずいぶん悩まされたものである。カウンセラーからもそれについては何度も指摘されていて、会話が続かないのは情報交換だけが目的になっているからであり会話そのものを目的化することを訓練したほうがいいと言われたものである。

 

 

 

実際男性でも話し上手と言われる人は雑談上手である。つまりそういうひとは会話において女性的とも言える。そして女性はほぼ全員雑談上手である。

 

 

 

最近この会話の目的の違い(ところでGoogleIMEはちがいを変換すると最初の候補が「ち外」とでるのいい加減直してくれないかなあ)について改めて納得させられることがあったので書き留めておきたい。

 

 

 

それは妻がよくこんな話をするのである。

 

誰それさんとこんな話をしたの。そしたらこんなことを言っていたの。といって妻が話し出す。ところがそれは全部妻の話である。それで誰それさんがへえって言ってたの。誰それさんが笑ってたの。という。終わり。

 

 

 

なんということだろう。今妻が話した内容は以前ぼくに向かってした話であり、つまり話の内容は既知である。ぼくにとって新しい情報はその誰それさんがへえと言ったとか笑ったことである。なんということだろう!もしこれが情報交換が目的の会話だったらどうでもいいを通り越している。誰それさんがその話に対してなにか意見を言ったのならまだしも、へえである。返事の代わりに屁えをこいたのならまだ中身がある。

 

 

 

つまり。結局のところ。これが女の会話なのである。カンバセーションの中にコンテンツがあるのではなく、カンバセーションそのものがコンテンツなのである。ぼくは雑談の真髄をそこに見た気がした。ぼくは頭の中でどうしてもふるい分けをしてしまう。こんなこと話しても仕方がない。意味がない。しかしそれはコンテンツというジャンル分けをしているからであって、会話というジャンルで分ければぜんぶ使えるものばかりなのである。こんなふうに理屈で考えている男をみて女はなんて馬鹿なのだろうと思うだろう。女の会話はいうなればスポーツみたいなものである。

 

飛んできたボールをすっとバットを振ればパンとあたってひゅっとホームランでしょう?なんでこんな簡単なことできないかなあ?生まれつき会話感覚を備えている女性たちはわからないことがわからない。

 

 

 

男女の会話の違いについて優劣をつけるつもりはない。闇雲に女の会話を称賛するつもりもない。ただ女の会話は会話力向上のために参考にしたいと思いながらもまったくペインレスというわけにもいかないものである。そんなことを考えた。

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

という文章を数ヶ月前に書いたまま温めていた。ところが最近になって不登校の子どもに必要なのは中身のない会話であるというようなことがネットで流れているのを見かけてなるほど子育てに置いても会話のための会話が必要であると改めて気がついたのでようやく公開する次第でございます。